なぜ猪木は橋本を「標的」にしたのか?
“凄惨ガチ”試合「1・4」の全舞台裏と
破壊王の壮絶すぎるプロレス人生――。
1999年1月4日、東京ドーム――。橋本真也と小川直也の3度目の対戦は、「1・4事変」として後世に語り継がれる大事件となった。「U.F.O.」を設立し古巣に喧嘩を売るアントニオ猪木、現場を仕切る長州力、そして小川のデビュー戦で噛ませ犬とされた橋本。三者三様の思いが交錯した末の凄惨な試合。満身創痍の橋本はその後、「引退特番」という地獄へ――。29人の目撃者が語る破壊王と燃える闘魂、「相克」の真相。
本書は小社より2018年8月に刊行した『長州力 最後の告白 誰にも語れなかったプロレス重大事件 その真相と顛末』、2018年12月に刊行した『証言1・4 橋本vs.小川 20年目の真実』、2019年4月に刊行した『証言「橋本真也34歳 小川直也に負けたら即引退!」の真実』、2020年12月に刊行した『俺たちのプロレス名勝負読本』を再編集したものです
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長州 力(ちょうしゅう りき) プロフィール
1951年、山口県生まれ。専修大学入学後、72年にミュンヘンオリンピック・韓国レスリング代表となる。74年、新日本プロレス入団。80年代に入り、藤波辰爾との「名勝負数え唄」で革命戦士としてブレイク。84年に新日本を離れジャパンプロレスに参加、全日本プロレスに闘いの場を移す。87年、新日本に電撃復帰。現場監督として90年代の黄金期を牽引するも、2002年、再び新日本を退団。19年6月、引退。
佐山 聡(さやま さとる) プロフィール
1957年、山口県生まれ。75年に新日本プロレスに入門し、76年、プロレスデビュー。海外武者修行を経て、81年にタイガーマスクとしてデビュー。その華麗な動きで一大プロレスブームをつくり上げ、新日本の黄金時代を支えた。83年、人気絶頂のさなかに引退。翌年、第一次UWFに参戦。UWF離脱後、シューティング(現・修斗)を設立し、近代総合格闘技を創始。98年にアントニオ猪木率いるUFO(世界格闘技連盟)に参加。99年4月、UFO離脱。2005年にはストロングスタイルプロレスを設立し、初代タイガーマスクとして現在も活躍。22年7月には新武道「神厳流総術」を発表。
前田 日明(まえだ あきら) プロフィール
1959年、大阪府生まれ。77年に新日本プロレス入団。将来のエースを嘱望され、イギリスに「クイックキック・リー」のリングネームで遠征。第一次UWFに参加したのち、新日本にカムバックしたが、「長州顔面蹴撃事件」で解雇される。88年の新生UWF旗揚げを経て、91年にリングスを設立。99年2月、アレクサンドル・カレリン戦で現役を引退。現在はYouTubeの「前田日明チャンネル」を開設し、元レスラーや関係者との対談などを公開。登録者数27万人超(2025年2月時点)の人気を博している。
藤波 辰爾(ふじなみ たつみ) プロフィール
1953年、大分県生まれ。72年、アントニオ猪木の新日本プロレス旗揚げに参加し、80〜90年代の長きにわたって新日本のエース格として活躍。99~2004年には新日本の社長を務めた。06年、新日本を退団し、弟子の西村修が立ち上げた「無我ワールド・プロレスリング」に参加。08年、西村の離脱で団体名を「ドラディション」に変更し、現役続行中。15年3月、猪木に次ぐ日本人2人目のWWE殿堂入りを果たした。