「プロレスは最強の格闘技である」
アントニオ猪木は所属レスラーに本物の強さを求めた。その実践の場が世田谷区野毛の道場だった。過酷な基礎体力練習とガチンコのスパーリング。
その格闘性は、UWFという鬼っ子を産むことになる。令和のプロレス道場では見られない限界突破と不条理な練習。7人の元レスラーが「“過激なプロレス”の舞台裏」を語り尽くす。道場不要論が沸騰するプロレス界に一石を投じる入魂の一冊!
【あわせ買い時の配送について】
予約商品と他商品を同時にお求めの場合、最も発売日の遅い商品に合わせての一括配送となります。
ご注意ください。別々の配送をご希望の場合は、お手数をおかけしますが、それぞれ個別にお買い求めください。
佐山 聡(さやま さとる) プロフィール
1957年、山口県生まれ。75年に新日本プロレスに入門し、76年、プロレスデビュー。海外武者修行を経て、81年にタイガーマスクとしてデビュー。その華麗な動きで一大プロレスブームをつくり上げ、新日本の黄金時代を支えた。83年、人気絶頂のさなかに引退。翌年、第一次UWFに参戦。UWF離脱後、シューティング(現・修斗)を設立し、近代総合格闘技を創始。98年にアントニオ猪木率いるUFO(世界格闘技連盟)に参加。99年4月、UFO離脱。2005年にはストロングスタイルプロレスを設立し、初代タイガーマスクとして現在も活躍。22年7月には新武道「神厳流総術」を発表。
藤原 喜明(ふじわら よしあき) プロフィール
1949年、岩手県生まれ。72年に新日本プロレスに入門。新人時代からカール・ゴッチに師事し、のちに“関節技の鬼”と称される。84年2月、タイトルマッチ直前の長州力を花道で襲撃し“テロリスト”としてブレイク。同年7月に第一次UWFに移籍。スーパー・タイガー(佐山聡)、前田日明、高田伸彦(当時)らとUWFスタイルのプロレスをつくり上げる。その後、新生UWFを経て、91年に藤原組を設立。タレントとしても幅広い活躍を見せ、多くのテレビ番組、映画に出演。2007年に胃がんの手術をするも無事生還し、今も現役選手として様々なリングで活躍中。
木村 健悟(きむら けんご) プロフィール
1953年、愛媛県生まれ。大相撲を経て、72年に日本プロレスに入門。同年8月に佐藤昭雄戦でデビュー。73年、新日本プロレスに移籍。78年から海外武者修行へ出発し、アメリカ、メキシコを転戦。帰国後、藤波辰巳(現・辰爾)とジュニアヘビー級でタイトル争いを繰り広げ、ライバル関係を確立。82年、ヘビー級に転向。85年に藤波とのコンビで初代IWGPタッグ王座を戴冠。87年1月14日、後楽園ホールで木村vs藤波の伝説のワンマッチ興行が行われる。92年8月、のちに平成維震軍となる反選手会同盟を越中詩郎らと結成。2003年4月、後楽園ホールで現役引退。11年から品川区議会議員(現在4期目)。
藤波 辰爾(ふじなみ たつみ) プロフィール
1953年、大分県生まれ。72年、アントニオ猪木の新日本プロレス旗揚げに参加し、80〜90年代の長きにわたって新日本のエース格として活躍。99~2004年には新日本の社長を務めた。06年、新日本を退団し、弟子の西村修が立ち上げた「無我ワールド・プロレスリング」に参加。08年、西村の離脱で団体名を「ドラディション」に変更し、現役続行中。15年3月、猪木に次ぐ日本人2人目のWWE殿堂入りを果たした。
栗栖 正伸(くりす まさのぶ) プロフィール
1946年、鹿児島県生まれ。大学卒業後、単身でアメリカに渡りプロレスラーを目指す。72年、新日本プロレスに入門。長年、アントニオ猪木の運転手を務めた。レスラーとしてはドン荒川との「鹿児島選手権」など、前座戦線で活躍。84年に新日本を退団し、長州力率いるジャパンプロレスに参加。87年のジャパンプロレス分解を機に全日本プロレスに入団。88年、引退。89年に金本浩二らを輩出した「栗栖正伸トレーニングジム」を大阪で設立。同時期にFMWに参戦して現役復帰を果たす。新日本、WARなど様々な団体に参戦するなかで、“イス大王”として人気を博した。